魂の質と 感情の中に入ること

完全なシータ波になっているときは、起きているにも関わらず、脳は寝てるような感覚で、夢じゃないんだけど夢のようでもあって

 

そんな まさに寝てないけど寝てるみたいな中

 

私の中で今は「うけとる」が、流行っているので

いつも「うけとる」をやっていた。

その感情をうけとる。

その出来事をうけとる。だけ。

<今までは、すぐにヒーリングしたり、思考パターンを分析して変容させたりしてたんだけど。ただ「うけとる」だけ。>

 

 

そのときに、観えたことは

 

どうやら私はうけとる時間がタンパクすぎて、すぐに<次>にいってしまいがちになるということ。<次>というか、<俯瞰する>ほうにいってしまうんですよね。

 

その感情を味わっているつもりなんだけど、なにげない日常の中で起こる出来事というのは、あまりにも平和すぎて そこまでどっぷり味わう感情の揺れがほとんどないんです。

 

しかし、そこで気がつきました。

 

もっと その<感情の中に入る>ことが大切なんですよね。

 

それって、多分 私は普通の人が簡単にできるようなこと、すごく苦手なのかもしれません。

 

もともとの<質>が、もう一人の自分が自分を俯瞰しているから。

映画制作の事例でいうと自分が主演しているんだけど、常に監督目線でその映画を俯瞰してる感じです。

 

自分が主演の物語なんだから、もっと感情を味わったほうがいいことに気がつきました。

 

だから 全ての感情において、抑揚が少ないのかもしれません。

別にそれは いい・悪いではなく、私はそういう<質>が強いです。

 

だけど、今後 もっと自分の魂の成長を拡大するときに、これはすごく必要なんだということがよくわかりました。

 

 

たとえば<女性性>は、もっと感情的なんですよね。

 

でも私はどうしても<質>的に 淡々としてるし、そういう意味では 女性性 弱いです。

 

我をわすれて 没頭するみたいなことが、ないんですよね。

いつも俯瞰してる監督目線の私がいるから。

 

ただ、せっかく人間に生まれているので ここの部分をこれからはもっと深めていきたいと思いました。

 

瞑想してたときに

<もっと味わって。すぐに(次に/俯瞰のほうに)いかないで>って、わかったので。

 

 

 

 

やっぱり魂の質って、あるよねーと

女性性のリトリートに行くたびに思います。

 

それと同時に、人間が傷ついてもそこから立ち上がり、

再生する姿は本当に美しさそのものなんですよね。

 

女性のほうが、自分の「傷」を傷としてうけとめ、再生する何かにリーチしやすいです。

 

しかし男性は その「傷」さえも、なかったかのようにフタをして、何事もなかったかのように生きていかれるかたが多いです。

 

でも、傷は傷で しっかり残っているんですよね。

何かあるたびに その傷は違うカタチで登場し、感情をゆさぶられます。それえさも、なかったかのようにしていると、それは命とりになるようなものに大きく広がっていきます。

女性はお友達とシェアするという質が高いので、その分 解放されやすいですが、男性は自分のつらい経験をシェアするって、なかなか難しいですよね。

 

本当に孤独そのものです。

だからその分、傷も深いし そこの扉もかたい。

別に扉は むりくり開ける必要は全くないですが、

もし息苦しいのであれば、外の空気をすうために開閉したほうが、楽になりますよね。