全ては「愛」の欠如から

数ケ月前まで

基本的に幸せで何不自由なく、暮らしていたにも関わらず

ある種の絶望を感じ、生きる情熱はなかった。

そして「待つ」ことに疲れ、いつもどこかで退屈していた。

 

ところが、愛に関わる瞑想をするようになってからか・・・・

 

全てが消えた。

 

環境的には 何も変わってないのに 一人で満ちている。

 

ここで分かったことは、全ては「愛」の欠如によるものだったということだ。

 

たとえば、これが私がパートナーとは不和で・・みたいな状況であれば、わかりやすかったけど、まるで違う。

 

家庭は「愛」がいつもあふれてる(笑)

「大丈夫?」っていうくらい、夫からも子どもからも愛されている。そしてもちろん私も愛してる。

 

 

にも関わらず、私の絶望感や退屈な感じ、待ちくたびれる・・・全ては「愛」の欠如だったということが、今だから わかる。

 

それは過去生からのものか、地球の集合意識としてのものか、はたまた個人的なものかは、わからないが それはなんでもいい。

 

いずれにしても「愛」が満たされたら

全てが消えたということだ。

 

誰かに出会ったわけでも

何かがおきたわけでもない。

 

いつもと同じ日常を送ってる。

 

それなのに 今までとは 全く違うところにいるのが、よくわかる。

 

今、もし

 

大好きな人がいて、うまくいってなかったとしても

誰のことも好きになれなかったとしても

お金のことで困ったことがあったとしても

 

 

それは決して、環境ではなく

自分が「愛」に満ちてるかどうかだけで 日々の感じ方は全く違うものになる。

 

誰かのせいでもないということだ。

自分自身が今の自分の感情をつくってる。

それは いいとか悪いとかではなく

「自分」だということを自覚することが最初の一歩だと私は思います。

 

自分の「愛」が満たされているかどうか。

相手ではなく、全て自分なんですよね。

 

そこのところを 誰かのせいにすることで

魂の成長からは、遠くなる。

そして 出会う登場人物が違うだけで、また同じ感情を味わうことになる。

 

どんなに苦しい感情でも、味わいきるということが とても大切です。

 

私はこの2年間で、自分が金魚鉢の中に入った金魚のようになり、酸素がなくなって口をパクパクするような(あくまでもイメージです)

呼吸ができなくなるんじゃないかっていうくらいの絶望を味わった。

それも味わいつくすと、必ず次のステージにいけるんですよね。

それを味わわない限り、私は まだ違う出来事をひきよせ、同じような絶望を味わわなくてはいけないことになってたでしょう。

 

楽しいことや嬉しいことに逃げずに、その絶望を感じきることで、現在に至った気がします。

 

 

 

 

 

今は、今までと状況も環境も同じなのに

全く違う視点と景色になった。

 

そしてようやく自分のミッションがふにおちた。

今までにサイキックなヒーラーさんたちから、散々 いろんな角度で言われてきたことだけど、それをきいたからといって、嬉しいとも思わず「ふーん」みたいな感じだっんたですよね。

 

それが、ここにきて 自分のミッションのほぼ全てを思い出した感じがしています。

 

 

私は仕事でカウンセリングやヒーリングをしているから、もちろん愛情飢餓からの問題や、心理学的なことは よくわかっている。だから 全ては「愛」によるものだってことも、何も今さら 言う必要がないくらい わかってた。

 

しかし、私のように 日々 わかりやすく幸せだと、まさか それなのに「愛」の欠如だったということは、非常にわかりにくい。。。けど、瞑想をすることで 愛が満ち、魂のミッションを本当の意味で思い出すことができました。

もちろん今までもいろんなことをやってきてるので、既に わかってたんですよね。頭では。

自分のビジョンもずっーーと前に映像として観てるから。

 

 

 

ただ本当の意味で 腑におちた 今朝なのでした。

 

ようやくそのミッションのスイッチが カチッと 入った。

 

 

もう待つことも退屈することも、絶望を感じることも ない気がする。

もし そうなったとしても、それはそれで大事なレッスンだから。

愛おしい出来事をうけいれて、楽しみたいと思います☆

 

 

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